時間が味方になるもの、敵になるもの
新しいものが、いちばん良い。
家についても、たいていはそう考えられています。実際、多くの建材は引き渡しの日が最高点で、そこから下がっていきます。だから「新築そっくりに戻す」という言葉が、リフォームの売り文句として成立します。
けれど、すべての材料がそうではありません。
時間が敵になるもの
先に、正直な話をします。
ビニールクロスは日に焼け、継ぎ目が浮き、角がめくれます。プリントの化粧板は、表面の紙がすり切れると下地が出ます。水回りのシーリングは痩せて切れます。メッキの金物は、剥げたところから錆びます。
これらに共通するのは、表面だけが「それらしく」作られていることです。中身と表面が別物なので、表面が傷んだ時点で終わりになる。直す方法が「新しいものに取り替える」しかありません。
悪い材料だという話ではありません。安く、早く、均一に仕上がるのは大きな利点です。ただ、時間は味方してくれないというだけのことです。
時間が味方になるもの
一方で、逆の動き方をする材料があります。
木は、色を深めます。漆喰は、表面が硬く締まって光の返し方が変わります。鉄は、手が触れるところだけが黒く艶を持ちます。真鍮は曇り、革は柔らかくなる。
こちらに共通するのは、表面と中身が同じものだということです。削れても、下から同じものが出てくる。だから傷が「欠損」ではなく、その素材の別の表情になります。
「汚れ」と「味」を分けるもの
とはいえ、古いものが何でも良く見えるわけではありません。同じ十年でも、汚れて見える家と、深くなって見える家があります。
分かれ目は、二つだと考えています。
ひとつは、直せるかどうか。手を入れられる素材は、傷んでも「放置された感じ」になりません。持ち主が世話をしている痕跡そのものが、家の印象を決めます。
もうひとつは、使われ方が見えるかどうか。手すりの艶が濃いのは、そこを毎日握った人がいるからです。床の一部だけ色が薄いのは、光が当たる場所だからです。理由のある変化は、汚れには見えません。
意味の分かる変化が「味」で、意味の分からない劣化が「汚れ」なのだと思います。
家のすべてが育つわけではありません
ここは、はっきりさせておきます。
設備は育ちません。給湯器も、エアコンも、換気扇も、十年前後で寿命が来ます。食洗機も、コンロも同じです。これらは味わい深くなるものではなく、期限が来たら取り替えるものです。
住宅の広告では、この二つがよく混ぜて語られます。けれど実際の家は、
- 時間とともに育つ部分(床・壁・建具・金物)
- 期限が来たら更新する部分(設備・配管・配線)
この二つでできています。混ぜて考えると、「二十年経ったから、全部やり直し」という話になってしまう。分けて考えれば、更新するのは一部だけで済みます。
長く住める家というのは、頑丈な家のことではなく、この二つが分けて設計されている家のことだと考えています。
時を重ねる、ということ
私たちは「暮らしに時を重ねる美しさを」という言葉を掲げています。
新品の状態を保つことではありません。十年後、二十年後のほうが良く見えるということです。そのためには、時間が味方になる材料を選び、直しながら使える作りにしておく必要があります。
引き渡しの日は、いちばん綺麗な日ではなく、いちばん何も起きていない日です。そこから先が、その家の本番だと思っています。
漆喰の経年については、[漆喰は、割れます。](/journal/shikkui-cracks/) にも書いています。
割れることも含めて、時間とともに変わっていく素材の話です。